「3.11後の企業行動」に関する寄稿文



第16回  「数十年後への想像力と行動」

株式会社日本総合研究所理事
足達  英一郎
専門    環境問題対策を中心とした
企業社会責任の視点からの
産業調査、企業評価

東日本大震災のあと、多くの企業が緊急援助、復旧支援の手を差し伸べた。個人と同じように、企業も「何か役立つことをしたい」「できることから何かをしなければ」と動いた。そして、いまも相当数の企業が「復興のために何ができるのか」を考え続けている。そのことは素晴らしい。
ただ、気がかりなことがある。3.11を機に、企業にどうしても変わって欲しいと思うことがある。それは、今日、今週、今月、今期といった近視眼的な判断基準を、企業が果たして修正できるのかという心配であり、修正してもらわなければ何としても困るという思いに他ならない。
これまでの自然災害ですら、復興を成し遂げるには長い時間を要してきた。今回の東日本大震災では、原発事故と放射性物質の環境中への放出という未曾有の出来事が付け加わった。数十年の単位で人の住めない土地が生まれ、程度の差こそあれ体内外の放射性物質の影響を受けることで被爆者は発生し続ける。「原子炉が冷温停止状態に達し発電所の事故そのものは収束に至ったと判断をされる」と宣言されても、生活への影響は現前に存在し続けるのである。
不都合が生じる側面からは目を背け、課題を先送りする我々の性行は、何も今に始まったことではない。年金問題、行政改革の頓挫、赤字財政、化学物質汚染、地球温暖化など事例には事欠かないであろう。「数十年先など、悠長なことを考える余裕はない」「いまの生活水準を犠牲にはできない」「過去に後戻りはできない」。さまざまな理屈を並べて「その場しのぎ」を繰り返してきたのである。
それは企業あるいは経済界でも同じではないか。「今日の競争に負ければ身もふたもない」「経済が成長しなければ世の中は失業者で溢れる」「明日の理想では飯は食えない」。いつの間にか、企業こそが近視眼主義の急先鋒に立つようになった。
しかし、これからは、ツケが次々と目の前に現れてくる。「放射能の生活への影響」は、その象徴的なトップバッターのように思えてならない。それでもまだ、「未来を置き去りにして、今だけを見て走り続ける」というのなら、必ずや「怨」という旗が次世代から突きつけられることになるだろう。
企業が、数十年後への想像力を巡らし、そのうえで意思決定を行って、行動することが、いまほど求められているときはない。企業が変われば、世の中も必ず変わる。もはや逃げるわけにはいかない深刻な社会課題に向き合っていく空気を世の中に作り、かろうじて、若い人たちに積極的に生きていこうとする道標を示せるかもしれない。いま、企業社会責任は、その一点に凝縮しているように思えてならない。


             掲載日:2012年1月24日



免責について                                                                                                                  

 本ウェブサイトによって提供する情報は、当該企業各社から入手した情報を原文のまま掲載しており、情報の真偽や正確性、完全性などを保証するものではありません。また、本ウェブサイトによって提供する情報は、情報提供のみを目的としており、証券投資等の勧誘を意図するものではなく、直接または間接的に投資を促したり、売買を促すものでもありません。本ウェブサイト上の情報に起因して利用者および第三者に損害が発生したとしても、当社は一切の責任を負いません。