「3.11後の企業行動」に関する寄稿文



第23回  「社会を開く方法」

神戸大学大学院経営学研究科教授
國部  克彦
専門  社会環境会計

  東日本大震災から、考えるべき論点は数多いが、ここでは、そこで露呈された日本社会の閉鎖性とその克服について考えてみたい。東京電力福島第一原発事故はいまだ完全な収束を見ないが、その過程から、さまざまな日本社会の縮図がみえてきている。そのひとつが閉鎖性である。日本国政府の閉鎖性、原子力関係の専門家の閉鎖性、原子力事業者の閉鎖性。「原子力村」という用語が新聞紙上に登場し、原子力に関わる人たちの集団そのものに批判の目が向けられている。
  公共性の高いものは社会的に開かれていなければならない。これは民主主義の鉄則である。政治については、かろうじて選挙という形で国民に開かれているものの、選出された後の国会議員の行動は国民に対して、十分に開かれているのかどうか、議論の余地が大いにある。しかし、それ以上に今回の原発事故で重要なのは、原子力専門家の閉鎖性であり、事業者である電力会社等の閉鎖性である。
  研究者の世界や事業者の世界は、基本的には閉鎖的なものであり、そのこと自体を批判することはできない。原子力学会に入会したいと希望しても、素人は入会基準を満たせず門前払いされてしまうし、電力会社に至っては民間企業であるため一般国民は企業のいかなる決定にも関与する権限を持たない。
  しかし、原子力関係の専門家の判断や電力会社の決定は、日本の原子力政策において決定的に重要である。今回の原発事故は想定外の津波が原因とされるが、そのような大きな津波を想定外と決定したのは原子力関係者にほかならず、その決定については、誰も責任をとることのできないしくみになっている。
  これは、原子力発電のリスクをどこまで許容するのかという、社会的な問題に対する判断である。リスクを受けるのは、電力会社や原子力関係者だけでなく、地域住民、日本国民、そして世界中の人間であり、これらすべての人々に関係するリスクの許容度についての判断を、一事業者や専門家に任せることはできないはずである。
  電力会社は、過去の不祥事の結果、顧問会などを設けて、外部の意見を聞くように努力しており、政府機関も積極的に原子力の広報・教育に努めていた。しかし、それは一般的な懇談や一方向の説明の域を出るものではなく、社会におけるリスクの許容度という本質的な問題を議論する場ではなかった。
  原子力発電のリスクがゼロであると言い続けられない以上、どの程度のリスクなら受け入れられるのか、という問題を、社会的に議論しないと、次のステップには入れないはずである。これは一事業者だけの責任ではなく、政府機関、地域住民、企業、専門家等が様々な側面から時間をかけて議論しなければならない。これが社会を開くということであり、公共性の高い事業者の立場から見れば、最も重要な社会的責任である。
  しかし、現在の日本の動向を見ていると、あいかわらず十分な議論もなく、原子力やエネルギーに関する主張や決定がなされているようである。これをいかに社会的に開かれた場で議論し、政策に反映させることができるかが、今後のもっとも重要な社会的課題である。

掲載日:2012年7月13日



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