先週末インテグレックス社の研修旅行に同行させていただきました。金次郎が生まれ育った地を訪れ、生家や記念館、博物館などをめぐったあと、箱根の入り口へと移動をして温泉や食事を楽しむというプランでした。
金次郎が幼き日に農業をしていたその土地には、いまでも田畑がちらほらと広がっていました。わたしはその土地で、実際に稲穂のにおいが濃厚に満ちるなか、陽光をさんさんと浴びる田畑の景色を目にして、『毎日口にしている食物は、ぜんぶこういう景色のなかで育まれたんだなぁ』ということを、いまさらながらにつよくリアルに体験しました。また、箱根のふもとでセミたちの鳴き声をBGMにして露天風呂に入りながら、『このお湯が、まさにこの山々の懐に抱かれ、育てられ、そして地中深くからこうしてここにわき上がってきているんだなぁ』と、とても鮮やかに感じました。そのうえ、ご一緒させていただいた社員の方々の大きなあったかさも加わり、なんだか自分がほんとうに深く愛されている存在であることを感じ、とっても満ち足りたような、そんなじんわりとした気分になり、思わず「あぁ、幸せだなぁ・・」なんて声に出して呟いてみたい心持ちになったのです。
現代生活のなかでは、ひとはビルの谷間に生き、お米は炊飯ジャーを開くとそこにあり、魚は冷蔵庫を開けるとそこから出てくるような、なんだかおかしな錯覚をもってしまいがちかもしれません。けれど本当は、米の生育には土や太陽や雨や虫といった、文字通り泥臭い自然の力が必要で、黙々と魚を育てているのは海なのです。人間は、どんなに文明や技術を進歩させても、太古より変わらず自然たちが育むものを口にして生きる道を選んでいます。科学的に計算し調合された錠剤や点滴で生命を維持させることの方がよっぽど合理的で効率的であり、そうしたことだって充分に可能な時代なのに、それでも無駄や過不足も多く出る「食物」で、いのちや身体をつなごうとする・・。このことは、実はとても不可思議で非合理な選択でありながら、とても人間くさい在り方なのではないかと感じます。
農民だった金次郎は、特に人間の命や営みにとって自然の力が必要不可欠であることを、そして人間が自然から愛されることなくして生きられないことを、熟知していた人物です。だからこそ、自身が受けている力や愛情に敏感であることを大事に考えました。そう思ってみれば、わたしがあの日の研修で「あぁ、幸せだなぁ」とおなかの底から感じる体験をしたことを、きっと彼なら「大切な体験をしてきたね」と言って喜んでくれるのではないかなぁ・・と、そんな勝手なことも思ったりしています。