掲載日:2012年4月24日
第13回  知ろうとすること

  華やぐ桜色の季節。はじまりの4月。美しい桜吹雪が舞うこの頃です。さて、前回は梅の花の香りから思い出された懐かしさの感覚からお話を進めました。なおまったくの余談ですが、このことをめぐってあれこれ考えているうちに、小さな頃のできごとを思い出しました。小学校5、6年生の頃、家にあった石油ストーブの匂いが大好きだったわたしは、よくこの匂いをかいで悦に入っていましたが、ある日「もっともっと・・」と近づきすぎて、鼻の頭をやけどしてしまったのです。さすがにこのようなことをしでかすにしては年齢が大きくなっていた自覚もあり、なんと言い訳をすべきか悩みつつ、ほんとうに恥ずかしい思いをし、やけどが治るまでの期間をあまりにも長く感じたものでした。こんな具合でしたので、もしかしたら「匂い」は、わたしにとって、いろいろなものと出会うための大切な「窓」なのかもしれません。
  金次郎は、自らの五感を通して世界に出会い、そのものを知ることを大切に考えていました。彼は農地を再建しようとするとき、まずはその地の田畑の「土を食べた」と言われたりもしています。その土はどのような性質をもち、どのような成分をもち、なにをどのように作るのがふさわしいのか・・。そのことを、目の前の土との対話から見出そうとしたのです。水分の量、寒暖の有無、養分の具合、水はけの状態・・。それぞれの特質自体は、善悪や優劣の区分をすべきものではありません。かならず、その土に適した作物があり、その土だからこそ実らせることができる作物があるからです。金次郎は、与えられた目の前の土を最大限に活かす道を摸索することこそ、人間の「知恵」であり「工夫」であり、「農」という偉大なる人間らしい営みだと信じていたのだろうと思います。
  目の前のものを知ろうとすることとは、そのものへの敬意をもち、愛情をもつことかもしれません。どのような相手とも、協同し、活かし合い、豊かな「実り」へと向かおうとする姿勢とも言えます。・・余談などを書いていたら、彼の具体的な事例をご紹介しそびれましたので、これはまた次回へと引き継ぎたいと思います。



掲載日:2012年3月19日
第12話  梅花の香り

  あちこちの梅の花々が、静寂な冬景色にやさしい彩りを加えはじめました。ようやく少しずつ、春の訪れを予感させる風に出会う頃となりました。
 先日、北野天満宮(京都)の梅園にゆきました。ぽかぽかと陽光のあたたかなその日は、前日に降った雨のせいか、梅花の香りがあたり一面に満ちていました。わたしは思わず梅の木に近寄って、鼻を近づけて梅の香りをかいでしまいました(ちなみにこんな時は、自身の背の高さをちょっぴり有り難く思います。ちょっと背伸びさえすれば充分に花に顔を近づけることができるからです!)。と、そのとき思いがけず驚きの体験をしました。花の香りをかぐと、小さな頃の感覚がありありと鮮やかによみがえってくるような、不思議な心持ちでいっぱいになったのです。日が暮れるまで外遊びに夢中になっていたあの頃、小さくも生々しい自身の世界を必死で生きていたあの頃・・。ほとんど忘れかけていたそんな懐かしい頃の光景が、身体中に充満してくるようなワクワクする感覚でした。考えてみると、たぶんあの頃のわたしは、いまよりもずっと花や草や土の匂いの近くで生活していたのではないかと思います。
  人間の五感のなかで「嗅覚(匂い)」がもっともつよく「記憶」と結びついていると聞いたことがあります。ですから、たとえば旅行ごとに異なる香水を利用すると、香水の匂いと旅の思い出がセットで記憶に刻まれ、のちにその香りさえかげば鮮明に記憶を想起することができるとか。ともあれこの日のわたしは、その後、花の香りから引き出された独特の懐かしさに胸を躍らせ、ピンクや白や紅色の梅のそれぞれの花の香りを、人目も気にせずくんくんくんくんとかぎ分けたりして遊んで(?)しまいました。
  この国には季節があり、季節ごとに自然たちはさまざまな風景を魅せてくれています。季節が違えば、咲く花も、風のにおいも、さえずる鳥も、とれる作物も、陽光のやわらかさも・・違います。ついつい忙しく走りつづけ、そんな風景を見過ごしてしまいがちな日常ですが、目の前のものたちとの出会いのなかで、そんな違いを楽しめる隙間(ゆとり)をもつことは、ドキドキワクワク生活への大切な一歩になるような気がします。この日の梅花との出会いから、あらためてそんなことを強烈に感じました。次回は、その辺りのテーマを、金次郎の事例とも絡めつつ考えてみようと思います。




掲載日:2012年2月21日
第11話  ひとを動かす力 その2

  凜とした空気の潔さが心地よく、つめたくも美しい景色が広がる季節です。ふと立ち止まり、四季折々、日々変化の風景をあらためてながめるとき、なんとも贅沢な嬉しい気持ちが満ちてくるような気がします。さて、期間があいてしまいましたが、前回のエピソードをめぐってもうすこしお話をつづけたいと思います。
  子ども時代のみなさんには、何か将来「なりたいもの」がありましたか。お菓子屋さん、宇宙飛行士、サッカー選手、花嫁さん、学校の先生・・。このとき多くの場合、自分の能力や偏差値からなりたいものを決めることはないでしょうし、それで食べていけるかどうかを考えて決めているわけでもないでしょう。なんと言っても、このとき重要になるのは「あこがれ」ではないでしょうか。その職業が、どんなすばらしい輝きをもち、意味や価値をもち、かっこよさをもっているか・・。それこそが子どもたちのこころをワクワクドキドキと踊らせ、動かすのです。だからこそ大人たちは、それが幼すぎる夢物語だと、あるいは非現実的な理想でしかないと笑うかもしれません。しかし、もしかしたらこのとき幼き者たちの目は、ある意味ではたしかに「仕事」の本質や原点の一端を捉えているのではないか、と思ったりもします。
  ネジ工場でのエピソードのように、ひとを動かすのはお金ではないような気がします。自分がお金を貯めてゆくことで得られる満足は、どこまで追求しても一抹の足りなさや虚しさを残すのではないでしょうか。むしろひとを内側から動かすことができるのは、その仕事に対する誇りではないかと、少なくともわたしはそう感じています。誰かを喜ばせたり、楽しませたりすること、誰かに必要とされること、それに応えることで、誰かが自分に大切な想いやまなざしを向けてくれること・・。そうしたワクワクドキドキの連鎖こそが、その仕事をすることの輝きとなり、誇りとなり、勇気や希望とともに、明日もまたそのひとをその仕事へと向かわせる力になるのではないかと思うのです。
   ひとは、かっこいいあこがれの背中に出会うとき、それを追おうとして自ら走りはじめる。そして、誇りという灯が胸にともることで、自ら奮起してますます走りつづける。わたしは「仕事」をそんなイメージとともに捉えています。





掲載日:2012年1月24日
第10話  ひとを動かす力

  さて突然ですが、みなさまは次のようなエピソードについてどのようにお考えになるでしょうか。
  ある工場で、小さなネジを大量製造していました。この工場には、ひとつの課題がありました。急な大量受注を喜べないという課題です。急な受注は、経営サイドにとっては大きなチャンスであり喜びですが、社員にとっては労働時間が増えるやっかいなできごとでした。割高の休日手当や厚遇を持ちかけても、積極的に時間外労働を引き受けてくれる社員は皆無でした。「お金よりも休みが欲しい」「なんでわたしがしなければいけないのか」それが率直なる社員の思いだったのです。
  さて、みなさまがこの事態を転回しようとするならば、どんな策を打ち立てるでしょうか。素朴には、休日手当をうんとはずむとか、強制的な会社命令にしてしまうとか、別の人員を新たに雇うとか・・そうした策を思われるかもしれません。いわば、お金や命令などによって、なかば強制的にでも動かそうという発想です。しかしこの工場は、まったく別の手立てでこの事態を変化させてゆきました。社員が自らすすんで積極的に動き出すシステムです。
  このとき工場長が取り組んだことは、社員たちにネジのドラマを語ったことでした。この一本のネジを使用した製品が、ゆくゆくどれほど世の役に立つのか、そこにどれだけ多くの生活がつながってくるのか、どんなに多くのひとを喜ばせるのか・・。こうしたドラマを、熱い想いを込めて、繰り返し、語りつづけたのです。すると次第に、社員のうちに手応えやプライドや充実感や使命感や責任感が芽生え始めます。自分たちが手がけているのは、単なるお金を稼ぐためだけの「作業」なのではなく、ひとの役に立つかけがえのない「仕事」なのだという自覚です。そして、ぽつりぽつりと、「そんなに大事な仕事なら、わたしがやりましょうか」と主体的に申し出てくれる社員が現われ始め、受注に応じることができるようになってゆくのです。
  というわけで、次回はこのエピソードを巡って、もう少しお話しをつづけたいと思います。





掲載日:2012年1月4日
第9話  「徳」との出会い

  東日本大震災や、それにともなう原発事故をはじめ、先の見えない世界的な経済不況など、あまりにも多くの課題が噴出した2011年がゆき、いよいよ新しい年がやってきました。あらためていま、一体なにが豊かさや幸せなのかと、そんなことを考えさせられる機会が増えているような気がします。
  さて前回は、金次郎が考えていた「徳」のお話をしました。彼が生きたのもまた、繰り返された自然災害などによって、農民たちの困窮や貧しさが極限にまで押し進められた逼迫した時代でした。必死で努力しても報われない、悪いことなどしていないのに災厄が重なるように降りかかる・・。悪夢のような絶望に覆われ、農民たちが希望も気力も失い、心田も田畑も荒廃した時代です。この時代を生きた金次郎は、それでも独特の実践方法によって各地の荒廃を切り拓き、次々と村を再建します。心田にも田畑にも、実りを復活させるのです。その実践の原点となるのが、前回お話をした「「徳」との出会い」の場所です。
  金次郎は、自身が生きている現状を悲観的にとらえ、目の前の現実を呪ったり、否定したりすることは自分自身をもっとも悲惨な事態へ向かわせると考えていました。その発想や嘆きは、傷を作り出して悪化させ、不幸感を充満させ、ついには自身から希望という心田の果実を奪うからです。さらに彼は、現実の悲劇—目の前の田畑の荒廃—は、実はこの心田の荒れ地化が原因となって引き起こされていると考えていました。心田の実りを失うことは、ひとの実践力や、実行するためのエネルギーを失うことであり、そのため結果的に田畑の実りを失うことだと言うのです。人間に、生命に、物たちに、現実に、この世界に、たしかに息づくドラマがもつドキドキワクワクした感動、生きて在ることの希望や喜び・・。それらを呼び覚ますこと。カタチある現実生活の豊かさ(田畑の実り)のはじまりはそこにある。それが彼の発想でした。
  しかしそれでもなお、この発想が理想論のように響くかもしれません。それほどまでに、現在の生活世界には厳しさがあるかもしれないとも思います。次回はこの点について、さらにある具体例に即しながらお話してみたいと思います。
  みなさまにとって、2012年が健やかなる希望の育まれる一年となりますように・・。





掲載日:2011年12月26日
第8話  ドラマが生む豊かさ

  早くも一ヶ月が過ぎてしまいました。さっそくつづきのお話をいたします。
  前回は「目には見えないドラマ」のことを描きました。無機質な物体や物質としての「モノ」の世界とは違う、物語やドラマやロマンや想いが込められた「もの」の世界。何気ない石ころや葉っぱも、幼い日にはきらきらと輝いて見えていました。祖母や母が大切に身につけていた指輪には、物質(モノ)としての価値以上に、物語(もの)としての価値や尊さがあります。わたしたちの国は「ものづくり」の国とも呼ばれますが、それは手先の器用さやまじめに製造することを指す以上に、想いを込めて「もの」を生み出すことに長け、そうして「もの」に込められたドラマを受け取ることに長けた、国や民族であるという意味なのではないでしょうか。ひとは、決して物体に囲まれて生きているのではなく、そうした物語に包まれて生きているのだと、金次郎は考えていました。そして彼は、そうした物語やドラマのことを「徳」と呼んだのです。「あらゆるものは徳をもっている」。これが、彼が生きた世界体験でした。
  現代は、溢れるほどの豊かさを享受しながら、なお満ち足りなさを感じる時代だと言われます。それは物から物語が欠落し、ただのモノになり下がることからきている事態ではないでしょうか。この満ち足りなさは、「数」で埋められるものではありません。物語に―つまり「徳」に―、気づき出会うための目や感性こそがその足りなさを埋めてくれる鍵になります。金次郎は、ひとが相手(物やひと)の「徳」に出会うことで得るドキドキワクワクしたあたたかな体験こそが、ひとを豊かさへと導くと言います。ただしこのとき彼にとって重要だったことは、この「豊かさ」が、今回お話ししたようなこころの豊かさだけではなく、現実的・経済的・具体的な生活の豊かさへと向かう点だと言えるでしょう。金次郎は常に「心田の実り」と「田畑の実り」とをともに視野に入れていました。単なる綺麗事や道徳至上主義の精神論ではなく、より実際的な生活現場を決して離れない発想こそが、彼の真骨頂と言えます。この点については、さらに次回のコラムで展開してみたいと思います。





掲載日:2011年11月24日
第7話  宝物との再会から

  みなさんには「宝物」がありますか? 先日、部屋の片づけをしていると、幼い頃の宝箱が出てきました。なかからは、大好きだったキャラクターのシールや、友だちがくれた小物や、どこかで拾った石ころや、動物のピンバッジなどが出てきました。いま見れば、どれも他愛ないものばかりです。きっと他のひとなら「ガラクタ」と間違えてしまうでしょう。でもそれらが箱から出てきたとき、「他愛ない」と見える大人になったわたしの目と同時に、「大切な宝物」と見えていた幼き日のわたしの目が、まるで重なるような体験をしました。たしかにあの頃のドキドキがよみがえってきたのです。なんだかとてもなつかしく、不思議な気分でした。
  日本人は、とても桜が好きな民族です。おそらくどんな土地にも桜はあるし、花咲く頃になれば、ひとは桜を求めて旅をしたり、宴を開いたり、散歩をしたり、詩を詠んだり、絵を描いたりします。たとえ特別なことをしなくても、それはなにかを「想う」季節ではないでしょうか。ところが海外では、日本人がそんなにも桜に熱中する理由が理解できないようだとも言われます。妹の友人であるスペイン人は「日本の桜にはチェリーがなるの?」と尋ねたと言います。あんなにも世話のために手がかかり、にもかかわらず花咲く期間が驚くほど短く、さらには果実もならない・・。そんな非合理的で、非効率的な木を、日本人はなぜそんなに大事にするのか、というのが素朴な感想なのでしょう。他方で多くの日本人は、そんなことを微塵も感じず、あたり前のように桜との時間を楽しみます。桜を自身の人生と重ねたり、桜が生きていた歴史をイメージしたり・・。その木の奥に息づく目には見えないドラマを想い、愛おしむ力は、もしかしたら日本人に特有の、極めて日本人らしい、そんな感性なのかもしれません。
  わたしが他愛ないものたちに見た「宝物」というドラマや、ひとびとが桜に見るさまざまなドラマ・・。目には見えない、科学では証明できない、でも、たしかに見ることができるもの・・。実は、金次郎もまたこのことについて語っています。次回はそのお話をゆっくりしてみたいと思います。






掲載日:2011年11月9日
第6話  「ひとのため」が生まれる場所

  前回、実は「ひとのため」という想いは、相手である他者にとっての必要性というよりむしろ、自分自身にとっての必要性があるのかもしれないというお話をしました。自身がより一層活かし、大きな力を発揮し、生き生きとした手応えをもつ幸福を体験するためにも必要なのかもしれない・・と。
  ではどうすれば、そんな想いや実践が自身に芽生えるのでしょうか。金次郎はそんな問いに対して、それは「受けること」「知ること」「気づくこと」から生まれると応じます。彼は、通常ひとは、いきなり自分の実践について考えようとするけれど、それは間違った発想の仕方だと考えました。ひとは、誰しも自分を第一の出発点にすることはできないと言うのが彼の一貫した主張だったのです。たとえば、ひとは自身がひとのためと「想う」以前に、すでに自身がひとのためと「想われて」いる存在だと言うことです。親としてのわたしが子どもを「想う」とき、しかしそのわたしは、すでにわたしの親からすれば子どもとして「想われて」きたのであり、出発点はむしろ後者の体験なのだ、と。
  「ひとのためを「想う」ならいつかは報われる、だからがんばろう」という考えは、正しいのかもしれませんが、これで実際に実行できるひとはどれほどいるでしょうか。他方、こうした見返り的発想を切り替えて、金次郎は恩返し的発想を提案します。「わたしたちは充分に「想われて」きた、だからその想いに報いてゆこう」と。楽観的すぎる発想かもしれませんが、でも、なんだか奇妙な力みが少しだけ抜けるような、実践のためのあったかなエネルギーがじんわりとお腹の底にわくような、そんな気分にならないでしょうか。
  前回、前々回とお話をした北海道開拓の方が「子や孫のため」というつよい想いを抱かれた出発点にもまた、その方自身が「子や孫のため」と「想われて」きた体験があったのではないでしょうか。そして、その体験への自覚や、気づきや、積極的な受け取り(感謝)こそが、この方の実践(子や孫のためと想い、行なうこと)のエネルギーとなったのではないかと、勝手ながらわたしはそんなことを感じました。





掲載日:2011年10月20日
第5話  『「子や孫のため・・」の響き その2』

  さっそくですが前回のつづきになります。北海道開拓にたずさわったあるお爺さまが幼い孫に語った言葉。「わたしの時代にこんなに豊かに暮らせるようになるとは思わなかった。わたしはお前たち孫や子どもが豊かになればとの思いだけで、この土地に開拓に入ったのだ・・」。
  わたしはこの言葉に出会い、開拓という想像を絶するような過酷な状況を乗り切るための力の源を知った気がしました。それはつまり「ひとは、守るべきものがあるとき、そして幸せにしたい誰かがいるとき、そんなときこそ自身を大きく越えるような力や強さを発揮するのではないか」との思いでした。
  たとえばかつて、超人的な活躍で日本チームを世界一へと導いたソフトボールの上野由岐子投手が「監督のためにどうしても優勝したかった。自分のためだったら、きっとこんなにがんばれなかった」と語りました。またフィギュアスケートの安藤美姫選手は「震災で傷ついた日本のために、みんなに少しでも笑顔を届けたいと思って滑った」と言い、みごとに金メダルを獲得しました。もっと身近には、わたしの母もよく「一人きりのときにはごはんを作る気力がわかないけど、家族のためと思えばいろいろアイディアが浮かんでくるし、楽しんでごはんが作れるから不思議だわ」と言います。
  たしかに一見すると「ひとのため」ということは、「自分のため」を犠牲にし、自身の力を抑圧し、制限し、自己を損ない、傷つけてゆくことのようにも考えられがちです。しかし実はむしろ、「ひとのため」こそが、自身の内に底力のような途方もない力を開花させ、自分をより一層強くし、自らにたしかな幸福感や手応えを与えてくれるのではないかとも感じるのです。個性の尊重、自己実現、自分探し・・。そんな風に「自分」ということにこだわりすぎること、「自分のため」ばかりに意識を向けすぎることは、実は自身の力や強さや幸福感や手応えを手放すことになり、結果としてかえって「自分」を小さくしてゆく、あるいは見失ってゆくことになるような気さえするのです。
  北海道の開拓。言葉ではあらわせないほどの辛さや、苦しさや、厳しさがあふれていたであろう営みを、それでも乗り切ることができた強さや実行力は、まさにこの「ひとのため」「子や孫のため」が生み出したものだったのではないか、わたしはそんな風に感じました。次回は、この「ひとのため」が、一体どこからどのようにして生まれてくるのか、についてさらにもう少し考えてみたいと思います。



掲載日:2011年10月13日
第4話  『「子や孫のため・・」の響き その1』

 先週、少し遅めの夏休みをとって母と二人で北海道十勝に位置する豊頃町二宮へと出かけました。というのも、実はここは、金次郎の孫である二宮尊親が仲間とともに開拓に入った土地だったのです。この地では現在も、このとき開拓をなさった方のご子孫の方々が住まわれ、当時開拓された地を継承し、さらに拡大もさせつつ農業が展開されています。昨夏、偶然にもそのなかのお一人とのご縁ができ、今回の旅行が実現しました。先祖がお世話になり、愛され、そして現在に至るまで彼のお墓を守り、彼のためのお祭りを大切に執り行なってくださっているこの土地や、この土地の方々への御礼がしたい・・と、そんな思いで、わたしは北の大地へと向かいました(しかし実際には、御礼をするどころか、たっぷりたっぷりと地元の方々にお世話になり、わたしたちまでもがさらなるご恩を受けてきてしまったのですが・・)。
 わたしはこの旅において、ほんとうに多くのことを学びましたが、なかでも知人がお話しくださったことは特に印象深くこころに残っています。その方は、お爺さまが尊親とともに開拓に入られた方で、以後ずっとこの地に住まわれ、農業を営んでいらっしゃいます。この方は、まだ幼き日にそのお爺さまから聞いたあるフレーズを時折ふと思い出すのだとおっしゃいました。「わたしの時代にこんなに豊かに暮らせるようになるとは思わなかった。わたしはお前たち孫や子どもが豊かになればとの思いだけで、この土地に開拓に入ったのだ・・」と。
 北海道開拓の歴史を思うとき、それは新たな土地への希望が原動力となってはじめられたかもしれませんが、しかし現実は、まさに何もない原野に立ち、そのうえ本州では想像もできないような冬の厳しさにさらされ、「苦労」などという言葉ではあらわせない過酷な経験の連続だったことと思います。そんな状況を、なぜ人びとは乗り切ることができたのか。わたしは、このお爺さまの言葉こそがその答えであるように感じました。そしてここに、金次郎が言っていた「一圓融合」や「ワクワクドキドキ」や「報徳」の原点があるのではないかと思ったのです。
 さてしかし、今回はすこし長くなってしまいました。そこで、この言葉になにを感じたのか、この言葉からどんな景色が見えたのか、そのあたりは次回ゆっくり描いてみたいと思います。





掲載日:2011年9月22日
第3話  「あぁ、幸せだなぁ」という呟き

 先週末インテグレックス社の研修旅行に同行させていただきました。金次郎が生まれ育った地を訪れ、生家や記念館、博物館などをめぐったあと、箱根の入り口へと移動をして温泉や食事を楽しむというプランでした。
 金次郎が幼き日に農業をしていたその土地には、いまでも田畑がちらほらと広がっていました。わたしはその土地で、実際に稲穂のにおいが濃厚に満ちるなか、陽光をさんさんと浴びる田畑の景色を目にして、『毎日口にしている食物は、ぜんぶこういう景色のなかで育まれたんだなぁ』ということを、いまさらながらにつよくリアルに体験しました。また、箱根のふもとでセミたちの鳴き声をBGMにして露天風呂に入りながら、『このお湯が、まさにこの山々の懐に抱かれ、育てられ、そして地中深くからこうしてここにわき上がってきているんだなぁ』と、とても鮮やかに感じました。そのうえ、ご一緒させていただいた社員の方々の大きなあったかさも加わり、なんだか自分がほんとうに深く愛されている存在であることを感じ、とっても満ち足りたような、そんなじんわりとした気分になり、思わず「あぁ、幸せだなぁ・・」なんて声に出して呟いてみたい心持ちになったのです。
 現代生活のなかでは、ひとはビルの谷間に生き、お米は炊飯ジャーを開くとそこにあり、魚は冷蔵庫を開けるとそこから出てくるような、なんだかおかしな錯覚をもってしまいがちかもしれません。けれど本当は、米の生育には土や太陽や雨や虫といった、文字通り泥臭い自然の力が必要で、黙々と魚を育てているのは海なのです。人間は、どんなに文明や技術を進歩させても、太古より変わらず自然たちが育むものを口にして生きる道を選んでいます。科学的に計算し調合された錠剤や点滴で生命を維持させることの方がよっぽど合理的で効率的であり、そうしたことだって充分に可能な時代なのに、それでも無駄や過不足も多く出る「食物」で、いのちや身体をつなごうとする・・。このことは、実はとても不可思議で非合理な選択でありながら、とても人間くさい在り方なのではないかと感じます。
 農民だった金次郎は、特に人間の命や営みにとって自然の力が必要不可欠であることを、そして人間が自然から愛されることなくして生きられないことを、熟知していた人物です。だからこそ、自身が受けている力や愛情に敏感であることを大事に考えました。そう思ってみれば、わたしがあの日の研修で「あぁ、幸せだなぁ」とおなかの底から感じる体験をしたことを、きっと彼なら「大切な体験をしてきたね」と言って喜んでくれるのではないかなぁ・・と、そんな勝手なことも思ったりしています。


インテグレックス社研修旅行のひとこま
        



掲載日:2011年9月2日
第2話  きらきらした背中のこと

 怒ると恐ろしいほどに厳しくて、でも、明るくて、楽観的で、お気楽で、わがままなほど自然体で、冗談が大好きで・・。と、それが、二宮家の長女として誕生した祖母が、わたしにみせた姿でした。彼女の父は四代目当主(二宮徳)、兄は五代目当主(二宮尊道)です。お父さんっ子、お兄ちゃんっ子だった祖母は、生家を愛してやまず、二宮家の話もよくしてくれました。わたしは祖父母と7年間同居していたことに加えて、彼女と同じ長女であり、寅年生まれであり・・と、重なることもあったせいか、この祖母に特に深い親しみを覚え、大きな影響を受けて育ったことをあらためて思います。
 彼女は、料理と裁縫が上手なひとでした。家にわたしの友人たちが遊びにきたときも、「おいしいでしょ?もっと食べなさい」と、食べ盛りのわたしたちが参ってしまうほどたくさんの手料理を、楽しそうに振る舞ってくれました。また、暇さえあれば、裁縫の余り布でポケットティッシュのケースを作っていました。自身の葬式の参列者への形見づくりだと笑っていましたが、あちこちで配ってきてしまうため、これは叶わぬ夢となりました。近所の駅員さんやなじみの魚屋さんはもちろん、電車で隣り合わせただけの見知らぬお姉さんさえも、彼女にとってはみんな「友達」(自称!)でした。そしてその友達に、ご自慢の?手作りティッシュケースを贈っては、相手からの「嬉しい」や「ありがとう」の声や笑顔に、幸せを満喫していたのです。
 わたしにとっては、この祖母の姿こそ、夜なべして作ったわらじを村人にプレゼントしたり、働いて手に入れたお小遣いを貧しい人に配ったりした幼き日の金次郎の姿とぴったり重なります。それは、辛く苦しい滅私奉公の自己犠牲だったどころか、むしろ金次郎や祖母自身がもっとも嬉しく、楽しく、きらきらと暮らすための生き方だったのだと思うのです。
 祖母は、二宮家の話や、それを実践するかのような自身の生きざまをとおして、「自分もひとも幸せになる生き方」を見せてくれました。彼女が亡くなったいまもなお、あこがれや尊敬や愛しさを抱きながら、わたしはこの祖母の背中を追いかけています。わたしだけでなく、ひとは「幸せな背中」を追いかけようとするのではないでしょうか。真の手応えと実感をもって「わたしは幸せだ!」と伝えてくれる背中ほど、かっこよく、そしてウキウキワクワクするものはない。わたしはそんなことを考えています。




掲載日:2011年8月22日
第1話  金次郎とワクワクドキドキ

 このサイト名である「一圓融合」。これは、わたしの先祖のひとりでもある二宮尊徳(江戸時代末期の実践家)の言葉です。ご承知の通り二宮尊徳とは、小学校の校庭に立つ、薪を背負って本を読む立像でおなじみの、あの金次郎少年のことです。この「二宮金次郎」という人物に、みなさんはどのようなイメージを抱かれるでしょうか。
 もしかしたら、親孝行で、勤勉で、苦しいことにも歯を食いしばって耐え、自己犠牲的な滅私奉公につとめ、質素倹約で、品行方正な模範的人物だ・・といったイメージかもしれません。そして、「一圓融合」という言葉もまた、そんな人物の言葉であるならば、きっと生真面目で、厳格で、堅く、重苦しい、道徳論的な言葉だと思われるかもしれません。いずれにしてもイマドキの感覚からは、ちょっと時代錯誤な、古風すぎるイメージではないでしょうか?

中桐 万里子
 けれどだとしたら、「ワクワクドキドキ」などという軽やかなフレーズはこの名のサイトには、なんだかそぐわないような、ふさわしくないような、そんな印象を持たれるのではないでしょうか。さらにはこんな風に思われるかもしれません。そもそも「なぜ、いまさら金次郎?」と・・。

 わたしは金次郎の名や二宮家のことを、祖母や母から聞かされて育ちました。特にわたしにとっては、よく話を聞かせてくれた祖母の存在がとても大きく、金次郎の姿や二宮家の様子は、その祖母の雰囲気や生きざまや人柄と重なるようにしてあります。そしてまさにそのことが、「金次郎」と「ワクワクドキドキ」がつよくリンクする一つの理由になってもいます。
 さらに言えば、今年の3月11日の体験を超え、この国が大きく新しい在り方への摸索をはじめているこの時代には、ワクワクドキドキとたしかにつながる金次郎の姿こそが、わたしたちに「何か」を与えてくれるものになるのではないかと思っていたりもします。
 では、金次郎とは一体何者だったのか、ワクワクドキドキとのつながりはどの辺りにあるのか、なぜこの時代に金次郎なのか・・。と、この辺りのお話も含め、この場所ではさまざまに思うことを描かせていただこうと思います。
 第一回の今回は簡単なご挨拶のみとなりましたが、どうぞ今後ともおつきあいのほど、お願いいたします。


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